インスタを開いたら、同世代の女性が映っていました。
おしゃれなキッチンで料理をしている。きれいにセットされたテーブル。「50歳、毎日が楽しい♪」というキャプション。フォロワー5万人。いいねが3000件。コメント欄には「素敵です!」「憧れます!」の嵐。
画面を閉じたあと、自分の台所を見渡す。流しに昨夜の鍋。テーブルの上にチラシの山。テレビの音。さっきまで普通だった自分の日常が、急に色あせて見える。
「私は何もできていない。」
……この感覚、覚えがありませんか。
キラキラした同世代を見て、素敵だな、すごいなと思いつつ、私にはできない。私はキラキラしていない。
羨望と嫉妬の入り混じった感覚。
あなたが見ているのは「編集済みのハイライト」

SNSに載っているのは、その人の人生のいちばんいい瞬間を、いちばんいい角度で、いちばんいいフィルターをかけて切り取ったもの。
映っていないところでは、あの人だって鍋を焦がしているかもしれない。子どもと言い合いをしているかもしれない。夜中に不安で眠れない日があるかもしれない。投稿のために何十枚も写真を撮り直しているかもしれない。フォロワーの数を気にして、心がすり減っているかもしれない。
けれど、そういう部分は載らない。載せない。
あなたは、だれかの「編集済みハイライト」と、自分の「未編集の日常」を比べている。そりゃ、勝てません。最初からフェアじゃないんです。
内閣府の調査でも、50代女性の悩み1位は「家族以外との人間関係」で38.8%。多くの女性が、人との比較やつき合いに消耗しています。あなただけではありません。
「すごい人」の基準は、だれが決めたのか

フォロワーが多い。売上がある。メディアに出ている。起業して成功した。毎日おしゃれで、旅行に行って、キラキラした暮らしをしている。いつのまにか、「外から見える成果」で人の価値を測るようになっていました。
その一方で、「できないわたし」「キラキラしていないわたし」を売りにしている人たちもいます。部屋が散らかっている写真。失敗談。泣いている自拠りの動画。一見、正直に見えます。けれど、あの人たちも「いかにできていないか」を作っている。ダメな自分を演出して、共感を集めて、フォロワーを増やしている。やっていることは、キラキラ勢とまったく同じ構造なんです。
つまり——スマホで見ているものは、全部幻想です。キラキラも、ダメなわたしも、どちらも「見せるために作られたもの」。あなたの日常は、だれかに見せるために編集されたものではない。だからこそ、比べようがないんです。
けれど、子どもが小さかった頃、毎日ごはんを作って、洗濯をして、夜中に熱を出した子どもを抱きかかえて病院に走った。それは「すごくない」のでしょうか。職場で理不尽なことに耐えながら、毎朝ちゃんと起きて出勤していた。それは「何もしていない」のでしょうか。介護と仕事を両立しながら、自分の時間なんてほとんどなかった。それは「キラキラしていない」から、価値がないのでしょうか。
比較は「終わりのない階段」です。ひとつ上のステージに行っても、さらに上にいる人が目に入る。どこまでいっても「まだ足りない」と感じる。これは能力の問題ではなく、構造の問題なんです。階段を登り続ける限り、満足は来ない。
比較をやめるために必要なのは、強い意志ではなく、「自分にとっての心地よさ」を知ること。いい人でいることをやめたとき、ほんとうの自分が顔を出す。それと同じように、「すごい人」を目指すことをやめたとき、あなたらしい生き方が見えてくるんです。
今日、SNSを閉じて、自分の台所を見る
朝、目が覚めたことに感謝する。カーテンを開ける。お茶を淹れる。洗濯物をたたむ。流しの鍋を洗う。そういう「何でもない毎日」を、ちゃんと生きていること。それ自体が、ほんとうはすごいことなんです。
だれかの「すごい」を追いかけなくていい。あなたの「心地いい」を選んでいい。
今日、SNSを閉じてみてください。あなたの答えは、画面の向こうではなく、目の前にあります。




コメント