あなたは今日、何回「ほしい」と思いましたか。
もっとお金がほしい。もっと時間がほしい。もっと認められたい。もっと自由がほしい。もっと若さがほしい。もっと健康でいたい。もっと、もっと、もっと。
一日のうちに、私たちは驚くほど「ほしい」を繰り返しています。朝起きてスマホを見た瞬間から、寝る前に布団の中でため息をつくまで。広告に、SNSに、他人の暮らしに。「あれがあったらいいのに」「あの人みたいになれたらいいのに」が止まらない。そしてついポチッと購入ボタンを押してしまう。
スーパーに行けば「もっといい食材が買えたら」。友達のインスタを見れば「もっとおしゃれな暮らしがしたい」。鏡を見れば「もっと若く見えたら」。一日中「もっと」が回っている。
けれど、ここに面白い仕組みがあるんです。
人間の脳には「ネガティビティ・バイアス」と呼ばれる傾向があります。良いことよりも悪いこと、あるものよりもないものに注意が向きやすい。これは危険を察知して生き延びるために進化した機能です。サバンナで「足りている、大丈夫」とのんびりしていた個体は生き残れなかった。「まだ足りない、もっと備えなきゃ」と警戒し続けた個体だけが、子孫を残せた。
つまり、意識しなければ脳は自動的に「ない」「足りない」を探し続ける。私たちの脳は、満足しないように設計されているんです。
「ほしい」と言うたびに、心は「自分にはない」と確認してしまう。「もっとお金がほしい」は、「私にはお金がない」を裏側から言っているのと同じ。これを一日に何十回もやっていたら、心が「足りない」でいっぱいになるのは当然です。
ほんとうの豊かさは、外からやってくるものではありません。自分の心の中から始まるんです。
「ない」を「ある」に切り替える

言葉を、少し変えてみてください。
あたたかい食事がある。話せる人がいる。今日も目が覚めた。深呼吸ができる体がある。窓の外に空がある。蛇口をひねれば水が出る。雨風をしのげる屋根がある。好きな音楽が聴ける。自分の足で歩ける。
当たり前すぎて見えなくなっているけれど、これは全部「ある」ものです。世界のどこかでは、このひとつひとつが「ほしくても手に入らないもの」だったりする。
これは「我慢しろ」という話ではありません。ただ、「足りない」と思い込んでいたけれど、ほんとうは「ある」ものがたくさんあった——そのことに気づくだけなんです。
無理に人を求めていた頃は、なぜか孤独だった。「だれかに認めてほしい」「だれかにわかってほしい」と焦るほど、人が遠のいていった。必要とされることで自分の価値を確かめようとしていたから、人との関係が全部「取引」のようになっていた。
けれど、自分で自分を満たした途端、ちょうどいい人だけが残った。取引ではなく、ただ一緒にいて心地いい人だけが。
「足りない」から動くと、足りないものばかり集まってくる。「もう十分、感謝しています。」と思えた瞬間から、流れが変わりはじめるんです。
見えている世界は、ほんの一部

もうひとつ、忘れないでほしいことがあります。
わたしたちが目で見ている世界は、ほんのわずかな一部だけだと言われています。聞こえている音も、見えている色も、全体のほんの少し。世界には、まだまだ知らないものがあふれている。
そう思うと、「自分は何でも知っている」という気持ちが、すっと軽くなりませんか。ほんとうの賢さとは、「まだ知らないことが、たくさんある」と気づくことなんです。
だれかが「あの山はすごいよ」と言っても、それはその人の体験です。写真を見ても動画を見ても、それはその人の目が切り取った景色にすぎない。あなた自身が登って、風を感じて、初めてほんとうの「知る」になる。
心が変われば、まわりの世界も、それに合わせて動きはじめます。毎日の中で起きるふしぎな重なりにも、目を向けてみてください。
今日、「ある」ものをひとつ

「ない」と思っていたものの中に、ほんとうは「ある」ものがかくれています。
ありがたいなと感じる気持ちが大きくなるほど、毎日はもっと豊かになっていく。見える景色は同じでも、心のフィルターが変わるだけで、まったく違う世界に見えてくる。同じ朝の通勤路が、「つらい通り道」から「季節を感じる散歩道」に変わる。同じ台所が、「面倒な作業場」から「家族を思う場所」に変わる。
今日、あなたの中にすでに「ある」ものを、ひとつだけ数えてみてください。
脳の初期設定は変えられます。


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