朝の台所。水道の蛇口をひねる音。冷蔵庫がぶーんと低く唸る。まな板にトントンと包丁が当たる。
この音を、あなたは聞いていますか。
たぶん、聞いていない。頭の中は今日のスケジュール。子どもの弁当の中身。午後の会議。返し忘れたLINE。やらなきゃいけないことが、渦を巻いている。
手は動いている。けれど心は、ここにいない。体は「いま」にあるのに、頭はいつも「さっき」か「このあと」にいる。
「早く終わらせたい」が口ぐせになっていたら、ちょっと立ち止まってみてください。一日のほとんどが「通り道」になっていませんか。
人生の95%は「途中」でできている

ゴールにたどり着くことだけが大事で、その途中にあるものは全部、邪魔なもの。そんなふうに生きていると、どれだけ達成しても満たされません。
なぜなら、人生のほとんどは「途中」でできているから。ゴールにいる時間なんて、ほんの一瞬です。その一瞬のために残りの全部を我慢していたら、人生の大部分を捨てているのと同じなんです。
家事も、通勤も、待ち時間も。「早く終われ」と思っている時間は、ぜんぶ「生きていない時間」になってしまう。もったいないと思いませんか。
きれいな夕日を見て、思わず「わぁ」と声がもれたこと、ありませんか。赤ちゃんと目が合って、なんだかうれしくなったこと。ふと見上げた空が、あまりにもきれいで足が止まったこと。
その瞬間、あなたは何も考えていなかったはずです。過去の後悔も、未来の不安もない。ただ、目の前のものをまっすぐ感じていた。
その一瞬に、心の中にすーっと広い空間が開くんです。それは、いそがしい考えごとの奥に、ずっとあった場所。気づかなかっただけで、いつもあなたの中にあります。
足の裏の感覚を、思い出す

特別なことはいりません。
歩くとき、足の裏が地面に触れる感覚に意識を向けてみる。お茶を飲むとき、湯気の温かさを手のひらで感じてみる。風が頬に触れたとき、その温度をただ受け取ってみる。洗濯物を干すとき、太陽のあたたかさに気づいてみる。
いいとか悪いとか、決めなくていい。意味を見つけようとしなくていい。ただ、感じるだけ。
すると、頭のおしゃべりがふっと止まって、「ああ、きれいだな」と思える瞬間がやってきます。
食器を洗う時間だって、瞑想になります。水の温度を感じ、泡の音を聞き、手の感覚に意識を向けるだけ。
私たちの頭の中では、いつもおしゃべりが続いています。「ああすればよかった」「これからどうしよう」と、止まることがない。けれど、だれにでも、それがふっと静まる瞬間がある。その瞬間を一日にひとつ見つけてみる。それだけで、毎日の景色が少しずつ変わっていきます。
先を急がなくて大丈夫

「早くしなきゃ」は、だれかに植えつけられたクセかもしれません。社会は「効率よく」「生産的に」と求めてきます。けれど、効率の先にあるのは、また次の効率。終わりがないんです。
先を急がなくて大丈夫。あなたは、もうここにいるのですから。
今日、ひとつだけ。朝の台所の音を、聞いてみてください。蛇口の水がボウルに当たる音。意外と、きれいな音がしています。



コメント